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中学受験試験から、行政公務員などの就職試験までの、学力選考試験の方式について。

 

5 July, 2008

Kensuke Yamazaki

 

拝啓 国会議員の方々様、マスコミの方々様、公益NGOの方々様

 

 中学受験試験から、行政公務員などの就職試験までの、学力選考試験の方式について、提案いたします。

 

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現行;

 成績上位から採用枠数を採用、採用数に達したら、それ以下の点数者は、切捨て。

 成績点数による、上からの序列主義。     

 

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問題点;

 過剰な受験競争。

 つるかめ算(中学受験)、正誤選択・数的処理や知能分野(公務員試験)のように、元来、数学や言語学の愛好者の、暇な時の趣味にしかならないことに、受験者が多大な時間と労力を割かれる。

 

 社会生活に直接役立たない技術なので、後々の合格者にとっても、人生の無駄。 勉強して落ちるなら、全くの人生の無駄。

 

 合格ライン付近は、ただでさえ過剰な勉強をしてきている集団で密集し、さらにむりやり点数差をつけるために、過剰な引っ掛け問題や、だまし問題、不要な推理問題など、小手先の問題難解化が、エスカレートする。

 

 試験の、試験による、試験のための、問題と解答、出題と対策勉強になる。

 

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 エスカレートした受験戦争のために、中学受験の小学生はもちろん、公務員試験の受験大学生や社会人まで、多大な人生の無駄な努力をこうむり、合格した者も不合格だった者も、心身ともに、多大な損傷をこうむる。

 

 小学生は、中学後に「伸びきったゴム(市川学園、佐々木先生の談話)」になり、「無気力で、言われたこと以外何もしない、何も出来ない、疲れ果てたロボット人間」と化してしまう。

 集団内でも、適度な人間関係を築けず、極端ないじめっ子になるか、極端ないじめられっ子なるか、両極端になりがちである。

 不合格の場合には、更に、非行や、世をすねたりひがんだり、学問自体や大人社会を否定したり、反社会化のリスクももたらす。

 

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 公務員の場合も、合格者ですら、受験勉強期の多大な犠牲と苦労から来るトラウマに、一生つきまとわれる。

 努力の果実としての利権特権意識や、合否ライン近くの不合格者との紙一重の差の後ろめたさから、非公務員との間に、人間的な壁を作る、素直な人間関係を作れなくなる、原因となる。

 新聞を騒がすような、公務員による数々の汚職や不正に関しても、「受験勉強で犠牲を払ったのだから、このくらい当然」というロジックや自己弁護、甘えにつながってくる。

 

 不合格者にいたっては、予備校で受験テクニックを教えたり、別の進路に歩みながらも、直接実を結ばなかった受験勉強の労力と時間の無駄から来るトラウマに、終始さいなまれる。

 顕在・潜在を問わず、合格した公務員や社会に対し、妬みと憎しみを抱くようになる。

 

 もちろん、スポーツなど、ある程度公正な競争であっても、単に実力や努力不足で勝負に負けた場合にも、妬みや憎しみは、個人差もあるが、常識の範囲内で普通に存在する。

 しかし、それらは、「実力」「努力不足」という、当たり前の「能力差」による原因が、本人でも認識できるので、よほどのひねくれた異常者でもない限り、自分に原因があることとして、それほど大きなトラブルや妬み憎しみにはならない。

 

 しかし、未青年期のお受験や、大人になった後での公務員受験での、マークシート筆記での選抜は、社会的に意味のないテクニック量による差、運の差、そのときの受験者層の差、どれだけ意味のない我慢比べをしたかの差、が比較的大きく、

 不合格の場合、費やした時間や労力コストが、あまりにみあわない点が、他の、かけっこやスポーツの勝負とは違う。

 

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 無駄という意味では、大学院での、文系分野全て+一部の理系分野での、学術論文・博士論文の、形式主義や悠長な査読体制の無駄 (屠竜の技)と、本質的に同じ。

 

 中学受験から公務員試験までの、受験テストの点数の上下と、社会人として業務を進める能力に、一切の相関性が証明されていないことは、周知の公然の科学的事実である。

 事実、数的処理試験も、知能試験も、言語論理試験も、これらによる分類は、大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ、外務省の金銭スキャンダル、呉市での不正採用を、一切防げなかった。

 

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改善案;

 

 医師看護師薬剤師の国家試験のように、あくまで、一定の学識と能力の有無を「確認」するための試験方式として、学校や公務員の試験の、一次の筆記は導入する。

 

 まず、学力で、一定以上の成績(年次や回次に影響されない)の基準点を、学力のボーダーとして、採用側が決めておく。

 基準点は、総合でも、科目ごとでもよい。

 一定の基準点(一定科目数の基準点)を満たした受験者には、年度に関わらず、数に関わらず、全員、次の選考を用意する。

 

 2次以降の選考は、面接、集団討論、(筆記合格者が少ないとき)、または、小論文、(筆記合格者が多いとき)、更に多いときは、入学金の額やコネ(私立)、公正なくじ(国公立と私立)にすればよい。

 (決して、1次と同じような、マークシート筆記の、知識記憶型、おたくテクニック型なテストは、しない。)

 

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効果;

 採用側も、結局、一定の学力を満たした人を、取れるということでは、「基準点以上のものから、任意に選んだ方式」でも、「点数上位から順番に採用方式」、と変わらないですむ。

 つまり、一定の学力を満たした人を、必ず、これまでの古いやり方同様に、必ず、取れるようになる。

 

 その上で、医歯薬看護の資格試験と同じく、あくまで、「一定の学力知識の証明」を目指した受験勉強が行われることで、過剰な高得点目当ての受験勉強がなくなる。

 出題側も、無理して差点をつけるような、社会的意味の低い、問題の複雑化やひっかけ化をしないですむようになる。

 

 採用された人も、「伸びきったゴム」中学生や、「特権殿様姫様の閉鎖集団」公務員にならず、活力・自己判断や社会性のある中学生や、社会的常識をふまえた健全な公務員になる。

 

 ものすごい時間と労力を投資して何も得られなかった不合格者が反社会化することも、防げる。

 あくまで1次のラインを突破するだけの基本学力を、己が準備して持っていなかったことが理由か、2次で、払える金額やコネ(私立)、運(国公立)、または面接や論文で比べられる、己自身の、相手先への求人適性や相性がなかったと思えばいいのである。

 

 無駄な努力は、これまでの点数上位方式ほどしていないのだから、燃え尽きていず余力があるので、次の学歴(高校・大学)や、次回以降の公務員雇用で、再チャレンジすればいいのである。

  

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 以上のように、

 中学から公務員採用まで、学力筆記試験の、採用方法・出題傾向・受験競争の適正化につきまして、

 国会議員の方々様、マスコミ、公益NGOの方々様におかれましては、日本国家と国民の健全な成育と社会発展のために、よりいっそうの法制化や議論をしてくださればと思います。